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古典のみどころ
第7回 平家物語
一般には、12巻本に灌頂巻(かんじょうのまき)1巻を加えた13巻本が行われているが、異本が多く、20巻を数える長門本「平家物語」やさらには48巻に上る「源平盛衰記」(げんぺいじょうすいき)も広い意味では異本の一つと見なされている。
ジャンル:軍記物語。古くは「治承物語」といい、「語り物」としていわれる場合は「平曲」といった。
作者:未詳。旧説は『徒然草』の226段の記述によって、後鳥羽上皇の時代に信濃の前司(ぜんじ:前国司)行長というものが作り、生仏(しょうぶつ)という盲目の法師に教えて語らせたものというが、これは物語の成立からすれば一世紀以上後の説であって根拠があいまいである。また「平家物語」は「語り物」として多くの語り手たちによって受けつがれ増補されてきたものではあるが、「語り物」として作られたのではないとされる。
内容:未詳。平信範(たいらののぶより)の日記『兵範記(ひょうはんき)』に「治承物語六巻、平家と号す」(仁治元年(1240年)の記述)とあるによって、1240年以前には物語の原型が成立していたものとされる。その後様々に増補されてきたこの物語について、全体としていつ成立したかを規定することは難しい。

構成と内容:20年にわたる平家の栄枯盛衰を描いた物語。冒頭「祇園精舎」にいうように「おごれるものは久しからず」という因果応報のことわりを述べている。
- 巻1?巻5:桓武天皇の子孫である桓武平氏が、忠盛の代になって昇殿を許され、その息子清盛の代になって数々の武勲を立て、ついには太政大臣にまで上りつめ、その娘徳子も入内するに至って、平氏の栄華は絶頂を極めた。しかしその一方で、平氏の専横を悪む勢力も次第に増加して行く。後白河法皇の子以仁王(もちひとおう)の挙兵によって、諸国の源氏が次々と蜂起する。頼朝を討伐しようと大軍を動員して富士川に陣取った平家の軍勢が、鳥の羽音に驚いて敵襲と勘違いし、なすすべもなく混乱の中にみずから大敗を喫してしまう姿をコミカルに描いて、平家凋落の前兆とする。
- 巻6?巻8:清盛の病死によって平家に暗雲が垂れ込める。木曾義仲の軍勢は倶利伽羅峠の戦いで大勝し、一挙に京都になだれ込む。平家は取るものも取りあえず福原へ都落ちをする。都では義仲の粗暴な振る舞いが悪評を買ってしまった。鎌倉にいる頼朝はこれに対して範頼・義経を派遣して義仲を討たせる。
- 巻9?巻12:義仲の軍は宇治瀬田の合戦で敗れ去る。源氏が内紛している間に勢力を盛り返した平家の軍は、一ノ谷に城を構え都への反攻の機をうかがう。義経は鵯越の難所を越えるという奇策を用いて一気に平家を敗走させる(一ノ谷の戦い)。瀬戸内海を挟んで源氏と平家の睨み合いが続いたが、一年後に義経は難所とされていた鳴門海峡をおし渡り、阿波に上陸して陸路を進軍し、平家の根拠地、屋島の要害を背後から奇襲した。追いつめられた平家は壇ノ浦の戦いに破れ、安徳天皇をはじめとし、一門の主だったものは次々と入水して果て、かくして平家は滅亡する。
- 灌頂巻:入水はしたものの助けられて生き残った建礼門院徳子は出家して大原に住む。後白河法皇は徳子を大原に訪ねた(大原御幸)。
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