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古典のみどころ

第6回 十八史略(じゅうはっしりゃく)

ジャンル:歴史読み物

作者:元の曾先之(そうせんし)、字は孟参(もうしん)。また従野(四庫提要の説)とも伝える。生没年不詳。宋末元初の学者。廬陵(江西省廬陵道吉安県)の人。南宋の咸淳元年に進士に合格し、その後地方官を歴任。政務に私情を挟まず、公平なことで有名であったという。宋の滅亡(1279年)後は任官せず、隠棲して92歳で没した。

内容:全七巻。「史記」・「漢書(かんじょ)」から「新五代史」に至るまでの十七の正史(せいし)と、宋代の史料を加えた十八の歴史書から、通史として重要な部分を抜粋し、太古の昔から宋代に至る歴史的な読み物として編纂されたもの。「略」の仕方は、事件の裏側にある複雑な人間の心理を全て省略し、事柄の経緯と結果を記述したものである。史料的な価値はないが、初学者向きの歴史物語として手短に要領よくまとめられており、日本では古来、中国史の入門書として広く読まれた。

「十八史略」とは

十七の正史 (正史とは、最も基本的で権威があると認められた歴史書のこと)
1.「史記」130巻(前漢)司馬遷撰
2.「漢書」120巻(後漢)班固撰
3.「後漢書」120巻(六朝宋)范曄(はんよう)撰
4.「三国志」65巻(六朝晋)陳寿(ちんじゅ)撰
5.「晋書」130巻(唐)房玄齢等奉勅撰
6.「宋書」100巻(六朝梁)沈約(しんやく)撰
7.「南斉書」59巻(六朝梁)蕭子顕撰
8.「梁書」56巻(唐)姚思廉(ようしれん)等奉勅撰
9.「陳書」36巻(唐)姚思廉等奉勅撰
10.「魏書」114巻(北斉)魏収等奉勅撰
11.「北斉書」50巻(唐)李百薬等奉勅撰
12.「周書」50巻(唐)令狐徳芬等奉勅撰
13.「南史」80巻(唐)李延寿撰
14.「北史」100巻(唐)李延寿撰
15.「隋書」85巻(唐)魏徴等奉勅撰
16.「新唐書」225巻(宋)欧陽脩等奉勅撰
17.「新五代史」75巻(宋)欧陽脩等奉勅撰

宋代の史書 実際に曾先之がいずれの書によったのかは不明。
○「続資治通鑑長編」520巻(南宋)李燾(りとう)
○「続宋編年資治通鑑」18巻(南宋)李燾
○「続宋中興編年資治通鑑」15巻(南宋)劉時挙
○「宋季三朝政要」6巻 作者不明

十八史略の内容例(次は有名な復讐の物語であるが、史実が要領よくまとめられている好例でもある)

臥薪嘗胆  「薪(たきぎ)に臥(が)し胆(きも)を嘗(な)める」
       (長い苦難に耐えて復讐の牙を研ぐ)

呉は周と同じ姫姓の国で、文王の伯父であった大伯と仲雍の封ぜられた国であった。十九代で寿夢(じゅぼう)に至り、始めて王と称した。寿夢には四人の子があった。末子を季札といい、賢者であった。寿夢は三人の兄を次々に位に就かせ最後に季札に及ぼそうと考えていた。しかし季札は、自分が王位を継ぐのは筋ではないとして、延陵に領地をもらって隠棲し「延陵の季子」と呼ばれていた。ある時王命によって諸国歴訪することになったが、その途中、徐の国に立ち寄った。徐国の君は季札が腰に帯びていた宝剣に心を奪われた様子であった。季札が諸国歴訪の任務を果たしての帰途、再び徐に立ち寄ると、徐君はすでに死んでいた。季札はそのまま身に帯びていた宝剣を解いて墓に掛けて立ち去った。

寿夢の後、四代にして闔閭に至る。伍員(ごうん)を登用して国事に参与させた。員は、字(あざな)を子胥といい、(呉の敵国)楚の大夫伍奢(ごしゃ)の子である。奢が楚の平王に殺されたので、子胥は亡命して呉に至り、呉の兵を率いて楚の都郢(えい)に攻め入った。

呉が越を征伐した折り、呉王闔閭(こうりょ)は負傷し、それがもとで死んでしまった。子の夫差が王に立った。伍子胥はまた夫差に仕えた。夫差は父の仇を討ちたいと志し、朝な夕な薪の上に寝起きし、部屋に出入りするたびに家臣に「夫差よ越人が汝の父を殺したのを忘れたか」と言わせた。

周の敬王の二十六年(前494)、夫差は越を夫椒の戦いで破り復讐を遂げた。越王句踐は、敗残兵をまとめて会稽山に隠棲し、身は夫差の臣下となり、妻は妾として差し出したいと願い出た。伍子胥は「講和はなりません」と制止したが、大宰の伯嚭は越から賄賂を受け取り、夫差に説いて越を許すようにと画策した。

越に帰国してからというもの、句踐は熊の胆を寝台の側に掛けて、常にその苦い胆をなめて「お前は会稽の恥を忘れたか」と言った。国政をすべて大夫の種(しょう)に託し、自分は部下の范蠡(はんれい)と共に兵の訓練に努め、呉に報復することに専念した。

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